グリム童話『漁師とおかみ』からみえる人間の欲望~超哲学入門一歩前~

哲学・倫理

目次

  1. はじめに
  2. 金と力の支配
  3. 本当の幸せの意味
  4. 善意の贈り物
  5. まとめ

はじめに

グリム童話に『漁師とおかみ』という話があります。ある時、漁師はヒラメを捕まえますが、にもかかわらず、人の好い漁師はそれを逃がすのです。家に帰ってかみさんにそう伝えます。欲の深いかみさんは、その話を聞くやいなや、そのヒラメに「小さな家が欲しいといってきな」と主人に言い返すのです。

人のいい漁師は仕方なく、かみさんのいう通りにします。でも、ヒラメはたやすく夢をかなえてみせます。ただ、欲張りなかみさんはさらに大きな石造りの城を主人に要求します。しぶしぶ、ヒラメに掛け合います。願いかなってみると今度は大きな石造りの宮殿を望みます。

いともたやすく夢がかないます。しばらくすると、さらに不満をあらわし、今度は、王様になりたいと要求します。さらに、今度は皇帝になりたいと要求します。皇帝になっても我慢できません。とうとう神になりたいといいだすのです。しかし、最後に、元の豚小屋に戻って暮らしたという話です。

人間の欲望には際限がありません。ある意味神にまで上り詰めていくほどの執着を持っているのです。その意味するところは、人間は自由な絶対的な存在だからです。

ただし、その欲望は際限がありません。それどころか、いくら願いが叶っても、ちっともうれしくないのです。なぜかの答えはこの物語の一番最後に現れます。

元の豚小屋に戻って、夫婦で喧嘩をしながらも、忙しく豚の世話に追われて暮らしていくことが、おそらく一番性に合っていたのかもしれません。

夫婦はもともと他人ですから、願いが叶って、金持ちになればなるほど力と支配の関係が生まれ、増々疎遠になるからです。

本当に人と触れ合うためには、自分のみじめな正体を開いたときだけです。その時だけ、お互いの善意を受け取ることができるからです。

金と力の支配

欲深いかみさんは、小さな家を持つ願いが叶うと、すぐにさらに大きな家が欲しくなります。その夢がかなうとまた今度は大きな城を要求します。さらに殿様、王様、最後は神さまにまで上り詰めようとするのです。

人間は、お金によって力をつければつけるほど高ぶる者となり、傲慢になります。調子に乗ったかみさんは、最後は神にまで上り詰めようとします。

お金は、いうなれば人を支配しようとする力を持っています。その要求は際限がありません。

事実、とても美しい人とか、頭がいいとか、社会的地位が高いとか、金持ちであるとか、それらはみな力に代わるのです。

なので、人はそういう人に憧れるのです。人間は本質的にエゴイストであることがわかるのです。

エゴイストとは自分のことばかり考えている人、自分の得になることばかりしている人です。

どうしてかというと、生きることは食べて自分を太らせ、人と競争して社会的地位を獲得することなのです。

そうやって、いつも自分を守って、存在を強くして生きていくのが人間というものなんです。

本当の幸せの意味

神はすべてお見通しなのです。なぜなら、おかみさんの本当の幸せをわかっていたからです。おかみさんは欲深く、嫉妬心も強く、人の好い旦那さんにいつも不満ばかり言います。

しかし、おかみさんはただの欲張りばかりではなく、ひもじい暮らしの中で、旦那と助け合って一緒に豚の世話をやく働き者です。つつましい生活者なのです。

しかし、人間はみな生きていくために自律的に、自己責任のもとに生きていかなければならないのです。そうして一人前の人間になることで幸福になると考えられてきました。

おかみさんの欲張りも、一歩でも貧困から抜け出したいという願望から出た言葉だったに違いありません。しかし、大きな城の主になったところで、ちっとも幸せではなかったに違いないのです。

なぜなら、広いお城にたった一人さみしく暮らすことは、おかみさんの性に合わなかったに違いありません。人間にはそれぞれの分があるわけです。神から与えられた身の丈というものが知らず知らずのうちに身についていくのです。

そんな中で、本当の幸せに気づいたに違いありません。おそらく大きな城の主になってみると、いろいろな人がその力を利用しようと近づいてくるでしょう。そしてお金目当てですから、用がなくなればさっさと退散するだけです。

おかみさんが豚小屋で汗水たらして世話をしていたころは、旦那のやさしさに気づかなかったのでしょう。お互い何もないみじめな姿をさらけ出して生きていくとき、人は、本当の心を開き、善意を感じることができるのです。

その時初めて、本当の幸せに出会ったに違いないのです。神さまは見ていました。おかみさんの本当の幸せを。なので、簡単に願い事をかなえてやったのです。

善意の贈り物

ところで、奇跡は普通では起こりません。おかみさんははじめは強欲ですから、お人よしのだんなに好き放題のことをいっておこりつけ、次から次へと願いをかなえていきます。

人間の欲は恐ろしいもので、最後はとうとう神さまにまで到達しようとします。神さまはおそらくいい加減目を覚ませと怒ったのでしょう。今までがまるで嘘だったように、まるでがれきのように崩れます。

神の逆鱗に触れ、ようやく目を覚ましたおかみさんは、いかに身近な現実の世界がありがたかったかを悟ることになるのです。

自分の力ではどうすることもできないものが次々と送られてきて、人は有頂天になります。ところが目を覚ますと、今までの夢のような現実が、まるでがれきのように崩れ去るのです。

さて、奇跡はここから起こります。元の豚小屋生活に戻ったのです。頼りないだんなの愛情にようやく気付くことになるのです。

人は力をつければつけるほど孤立していきます。近寄ってくるものはお金目当ての人だけです。

ところが、豚小屋生活に戻ったおかみさんは、自らのみじめな姿をさらけ出したのです。その時奇跡は起こるのです。人の好いだんなさんから、本当の善意の応答であることに気づいたのです。

今まで、頼りないお人好しのだんなに好き放題の要求をぶつけたけれども、ただの一度も嫌な顔をみせずすべて応答してくれたのです。

人は可を何かをしたことに対して、応答してくれるかどうかは、相手の自由にかかっているのです。なので、他者の応答は奇跡に近いのです。

まとめ

さてここまで、グリム童話『漁師とおかみ」を題材として人間の本質に迫ってきました。

かりに私の世の中の人すべてに見捨てられ、まったくの孤独の闇の世界に落ち込んでしまっても、生きている以上、この奥底の真の自己が私を支えてくれているのです。

そのことに、おかみさんは気づいたのかもしれません。私は孤独のうちに死すべき存在だけれども、神が最後まで支えてくれていることがわかったのでしょう。

この世界は不思議です。おかみさんのようにまったくのひとりぼっち孤独の世界に落ち込んだとしても、この命を贈ってくれた最大の他者、心の奥底にいることを理解したのです。

このように、人間はいつでも他者との関係の中で、何らかの役割を果たすことによって自己になるのです。だから、他者との関係がなくなれば、自己も消滅してしまうのです。

おかみさんが気づいたように、本当にみじめな自分になって、心を開いたとき、最大の他者がすっと入ってきたのです。おそらく、金銀財宝が一瞬のうちに消えても、貧しさの中のどん底にあったとしても、心が温かく充溢していれば真の幸せをつかむことができるのです。

タイトルとURLをコピーしました