目次
- はじめに
- 観想生活とは
- そのモノは何であるか
- 力としての徳
- まとめ
はじめに
皆さんにお聞きします。おそらく、仕事が充実していれば生活も充実しているんではないでしょうか。
ただ、俺はこんな仕事だからと思っていたら、残念ながら生活も充実してないことは想像がつきます。
でも、どんな仕事でも、どんなささやかなことでも熱心に取り組んでいる人はいます。
そんな方の生活はおそらく充実した生活を送っていると想像がつきます。
どんな仕事だってやりがいを見つけることはできます。例えば、ANA社員で清掃を担当している方です。
とにかくトイレの中はピカピカです。本人が発明した掃除道具を駆使しています。
皆さんが気持ちよく使っていただくことに生きがいを感じているんです。
さて、ここから哲学に入ります。アリストテレスは「観想生活」こそ最高の幸福だといって言っています。
観想生活とは
アリストテレスのいう観想生活とは「アレテーに生きる」生き方だといいます。
アレテーとは自分の得意分野のことで、自分の強み、あるいは、卓越した技術などです。
なので、自分の得意分野を持つということはとても大事なことで、それが仕事で活かせたら最高に幸せな生き方ということにつながります。
ところが、決して最初から得意分野で仕事をしている人などどれほどいるのでしょうか。
それはほんの一握りの人に過ぎません。ほとんどの人は不得意分野で仕事をしている人なのです。
しかも嫌な仕事をコツコツやりながら、だれにも認めてもらえない、下積みの仕事がほとんどです。
なので、ほとんどの人はこの時点でドロップアウトして、職を転々としているんです。
さて、アリストテレスは「アレテー」ということも言っているんですが、「観想生活」に最終目標を定めていた人なんです。
というのも、モノは観るから始まり、「テオーリア」の段階にまで高めてこそ本当に観えるものがあるといっているんです。
つまり、「テオーリア」はtheory(セオリー)の語源を持ち、研究や分析にまで高めることなんです。
そのものが何であるか
アリストテレスの考え方の基本は、「観る」ということにつきます。世界は、まず自分が観ることからなり立っているのです。なので、すべて自分のフィルターを通して世界が存在していることに気づくはずです。
したがって、他人のフィルターは未知の世界ということになります。
ところで「認識(cognitio)」には、「観ること」と「承認(assensus)」することの二つが関係しているといわれています。
つまり、目の前にあるモノを観ることで、知性に関与しそのモノを承認することで、はじめて知性は受容されたことになるのです。
なので、世界に存在しているものはすべて自分の目の前で起こっていることの承認の連続なのです。
アリストテレスはそのモノが「何であるか」によって存在に意味を持つといっています。
たとえば、目の前のペーパーナイフは紙を切るために在ります。なので、切るためでなけらばそこに存在はないということになります。
力としての業
ラテン語でvirtusは力でもあり徳でもあるのです。アリストテレスのいう徳とはアレテーであり、力量とか、卓越性とかという意味です。
つまり、アリストテレスの力とはアレテーであり、内面から湧き出る力であり、能動的積極的知性そのものなのです。
なので、自分の持っている力を存分に開花させ、可能な限り充実した生活を送るための業ということになるのです。
本当に自分が生涯かけて取り組んでみたいことを成し遂げる力のことです。
たとえば、馬の世話を生涯かけてしたいという並々ならぬ愛情を注ぎたい方は、厩務員になって一生を馬のためにささげる生き方です。
したがって、地位や名誉やお金では決してなり立たない世界なのです。
それが、アレテーに生きる生き方であり、「観想生活」そのものなのです。
まとめ
アリストテレスはこのモノがなんであるかを観ることで知性にまで高めることこそ「観想」だといいました。
つまり、仕事が本当の自分の仕事にまで高めるためには、他にはない自分だけの分析でもって、新たな業を身に着けてこそ仕事に対する力が発揮するのではないでしょうか。
アレテーに生きる生き方を通して、自らの世界を充実した仕方で生きることこそが善へと向かう生き方ではないでしょうか。
やがてその善が、徳となってさらにパワーアップした生活を送ることこそが最高善(幸福)に近づく業なのです。
なので、幸せは待っていては何も変わりません。掴み取る力こそが本当の意味での「観想生活」なのではないでしょうか。
たとえば、最も嫌いな職業に就いたとしても、その場所をひたすら極めることで、その道のスペシャリストになることだってできるのです。
能登の加賀屋は今でも日本一の旅館として輝いている理由の一つが、お客様の何気ないしぐさを観察することから、お世話が始まるといっています。
何事も業を究めることこそがアリストテレスの「アレテーに生きる生き方」なのです。知性を働かせることで自分の仕事にしているのです。
なお、さらに哲学に興味のある方は私の著書をご覧ください。