目次
- はじめに
- アンデルセンのメッセージ
- エゴイストとしての人間の本質
- 神の目でとらえたアンデルセン
- まとめ
はじめに
アンデルセンの童話は世界中の子供たちに今なお愛され続けています。ただ、子ども向けのやさしい童話の中でも、人生の深い真実が込められています。
それは彼の育った環境に多く影響されています。たとえば、幼少期の極貧時代の悲しみ、死の問題、さらに成長して人生への懐疑や信仰の問題まで作品に投影されているのです。
なので、人生は決してハッピーエンドではなく、不幸が続き最後に死んでゆくという場面も多くあります。現実世界は子供も大人も別離や失敗や競争や葛藤があり、それらの苦悩や孤独の体験を積み重ねているのも事実です。
そんな中で、アンデルセンはこんな言葉を残しています。「生きているだけでは十分でない。誰にも日の光と自由と小さな花が必要だ」と。
人間に自由がなければすでに人間ではなく、モノと化してしまいます。そこでは、搾取や略奪の世界になり下がってしまうのです。
なので、自由な意思は、欲望のままに行動するという失態を逃れることはできません。アンデルセン童話は人間の虚栄心を見事に描き出しているのです。
アンデルセンのメッセージ
アンデルセンの童話の中で、特に有名な『皇帝の新しい着物』(『裸の王様』)は、欲望に飢えた王様が新しい着物を見せびらかしては、みんなから賞賛を得ることに夢中になるという物語です。
ある時、いかさま師がやってきて、最高に美しい着物を作ることができると多額のお金をもらいます。ただし、「自分にふさわしくない者はそれが見えない」とウソぶきます。
まんまと騙された王様は、見えない着物なのに「見事な着物」と見栄を張ってしまいます。
とうとう裸のまま王様が行列を従え行進すると、往来の人は「なんとも珍しい、よく似合あって」とおべっかをいいます。本当のことを口に出す人は誰もいなかったのです。
ところが、1人の小さな子供が「何も着てやしないじゃないか」と叫ぶのです。王様は裸で歩いているという真実が暴かれてしまいます。
この童話は、大事なことを教えています。多くの虚栄や地位、面子に支配され、本当のモノを見ることができなくなっていったのです。
真実を見抜いたのは天真爛漫な小さな子供でした。我欲にまみれた王様は面子に支配されていたのです。
人間は自分の太らせることに汲々としています。特に王様のような権力を持つと、醜い世界の只中から抜け出せなくなってしまうのです。
ところが、神の目で見ると、大人たちは虚栄にまみれ、自分を良く見せようと躍起になっているのがわかります。
しかし、純粋な子供は、我欲にまみれることなく神の目でモノを見ることができたのです。
エゴイストとしての人間の本質
人間はみな一様にエゴイストです。なぜなら、食べ物をとって自分を太らせ、人と競争して社会的地位を獲得するからです。
そうやって、いつでも自分を守って、自分の存在を強くして、生きているのが人間の本当の姿です。
裸の王様はその典型で、多くの虚栄や見栄にまみれ、地位や面子だけを生きがいとして生きていたのです。
それは、王様だけに限ったことではありません。一般の庶民も同じです。少しでもお金を稼いで、社会的地位の高い方に行こうと躍起になるのです。
なので、王様に媚び諂い、たとえ裸でも美しい衣服をまとっていると平気でうそぶくようになるのです。
ところが、天真爛漫な小さな子供は、少しでもお金を儲けようとか、快楽に溺れるということはありません。自分をかっこよく見せようとかという鎧など一切ないのです。
なので、おかしいことは、おかしいといえます。「何も着てないじゃないか」という本心が素直に出るのです。
神の目でとらえたアンデルセン
人間の目でとらえると王様のように虚栄心だけの人間になり下がってしまいます。
ところが、アンデルセンは、さまざまな小動物や虫たちを登場させ、神の声として人間の最も醜い部分を指摘します。
なので、子どものように、あるいは動物や虫たちのように、自分をだれよりも低くするものとなって登場させます。
そのことで、最も不自由な人や恵まれない方こそが神に最も近い人であることを強調するのです。
神の目は人の目とは真逆です。貧しく、弱く、醜い者たちに光を当てます。
逆に、虚栄を張り、自分を偉そうに見せ、自分の利己的な欲望を追求する人間の本質を暴き出しているのです。
アンデルセン童話は、醜い世界の只中にも、神の恵みが豊かに注がれていることを知ることができるのです。
まとめ
アンデルセン童話は私たちにたくさんの大事なことを教えてくれます。
特に哲学の視点で考えてみれば、善と悪の問題を見事に描き出しています。
動物や昆虫がたくさん登場するのは、子ども受けする童謡のためだけではありません。低みに立つ神の目線で語らせているのです。
だれでも子供のように自分を低くする人が、神の国では一番偉い人なのだということをアンデルセンは強調しています。敬虔なクリスチャンでもあった母のことばでもあったのでしょう。
実は、最も醜く、最もみすぼらしい人こそが、神の目からすると、最も尊く、愛すべきかけがえのない存在なのです。あえてアンデルセンはそのようなモノたちに光を当てています。
それは、アンデルセン自身が極貧の中で、信仰心の厚い母親に育てられ、何がこの世で大切かを身に染みて感じたからに他ならないのです。
哲学的に言えば、死にさらされた最も弱い人間こそが本当の人間の姿なんです。そのことを良く知っていたからこそアンデルセンは童話に息吹を吹き込んだのではないでしょうか。
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