イソップ寓話の教訓から人間の本質を読み解く~超哲学入門3歩前~

哲学・倫理

はじめに

イソップ寓話はアイソーポス(イソップ)という奴隷が作ったとされる寓話です。時代はヘレニズム(B.C.300年ごろ)。エジプト文明とギリシャ文明を発展継承し地中海文化が花開く時代にあたります。

したがって、イソップ寓話は最も古い童話でもあり、聖書ができる以前の書物として、聖書をはじめとして多大な影響を与えたとされています。

イソップ童話はもともとギリシャ市民に知恵と教養を身に着けることを目的としてた寓話です。

なので、当初は教訓や格言めいたものが多かったのです。なので、聖書のたとえ話にも多用されています。

今回は、『ロバと植木屋』という寓話を紹介しながら、人間の本質に迫りたいと思います。特に、2000年以上の昔の物語がいまだに残っているという意味は、現代でも十分に通じる格言になっています。

単なる童話ではなく、大人の教養として、また、仕事や人生の生き方にまで十分に効果のある教訓だと思われますので、ぜひ味わってみてはいかがでしょう。

『ロバと植木屋』あらすじ

イソップ童話の中でも『ロバと植木屋』は聖書に多大な影響を与えているといわれています。おおよそのあらすじは以下の通りです。

ロバが、植木屋に使われていました。さんざん働かせるのに、食べ物は少ししかもらえないので、ロバはゼウスの神に、

「どうか、わたしがあの植木屋の所で働かないですむ様に、他の主人に代えてください」とお願いしました。

ゼウスはロバの願いを聞き入れて、陶芸家に売られるようにしてやりました。

しかしロバは、この家もまた嫌になりました。

前よりもこき使われ、ねんどや陶器を運ばされるからです。

それでロバは、また主人を代えて下さいとゼウスにお願いして、今度は皮なめしの職人に売られました。

こうしてロバは結局、今までのどの主人よりも、ロバをこき使う人に使われることになったのです。

皮なめしの仕事がわかったとき、ロバはため息をついて言いました。

「ああ、何という事になってしまったんだろう。初めの主人の所にいれば良かった。ここにいたら、きっと自分の皮までなめされてしまう」

結局、自分の世界から一歩も抜け出せないロバの不幸の始まりです。

ロバと植木屋の教訓

ギリシャ時代は、主人と召使いという関係の仕事が多かったようです。というのも、奴隷制度が横行し、金持ちが奴隷を雇っていた時代なのです。

なので、今と比べものにならないくらい召使は奴隷同然として働かされていたようです。

ただ、そんな中でも主人によっては随分と扱いが違うこともあったようです。

しかし、このロバは楽な方へとどんどん主人を代えていくという、自分本位の考えが見え隠れします。

おまけに、ゼウスという神頼みなので、なおさら、神は罰を与えたのかもしれません。

そもそも、仕事は今の時代でも決して楽な仕事はありません。傍から見るとよいように見える仕事も、実際に携わると苦労が多いことがわかります。

奴隷労働というギリシャ時代とは比べ物にならないかもしれないかもしれませんが、今でも、それに近い企業はたくさんあります。いわゆるブラック企業です。

おそらく、楽な仕事を探しているような人は、ブラック企業に入りやすいのかもしれません。なぜなら、給料が良くて、楽な仕事なんてどこを探してもないからです。

人間の本質を読み解く

ところで、この教訓によって、人間とはそもそもどういうものかが見え隠れしていることがわかります。

人間は、欲望によって生きていることは当然のことです。したがって、お金持ちになりたいとか、もっと強くなりたいとか、美しくなりたいとか、自分をかっこよく見せたいとかそうゆうふうに生きている動物です。

だれでも、自分の存在を肯定して生きているということです。自分には価値があるとか、自分の存在に意味があるとか、自分を最も正しいという生き方が大前提にあるのです。

ただそこに共感してくれる人がいなかったらどうでしょう。単なる自己満足に終わるだけです。私は私であるというような私はどこにもないのです。

「私」とは他者との関りなしには「私」という実態はどこにもないのです。「私」は他者とのかかわりを通してしか「私」という実態は存在しません。

なので、このロバはわがままを通し、楽な方へと自分の我を通すのです。そこには一切の他者のことは目にとまらないのです。一方通行の我を押し通すことで、結局、災いは自分にのしかかるのです。

まとめ

さて、ロバの問題に戻ります。最初は植木屋で働かされます。ろくに食事を与えないのですぐに嫌になってきます。

神(ゼウス)に頼んで次は陶芸家に雇われます。あまりにも重い荷物が多くて、これもすぐに音を上げます。

最後は皮なめし屋に働きに出ます。具体的には何も書いていませんが、おそらく生きた動物を殺して、皮をはぐ仕事です。生きた動物を運んだり、殺された死骸を運んだりしたのでしょう。

もたもたしていると、自分まで皮なめしにされてしまうと思ったに違いありません。すべて神(ゼウス)が仕向けた災いです。

おそらくロバにはゼウスの姿は見えません。しかし、ゼウスは有限な者(他者)の背後に隠れて見えないのです。つまり、神は超越であり不在なのですが、他者の背後に現れるのです。

ただ、神に善意を捧げ続けること以外にロバの生きる道はないのでしょう。おそらくそれを知ることができるまで、ロバは次々と災いが降りかかるでしょう。

仕事もある種そういう意味合いもあるのかもしれません。少し極端になりますが、「仕える人になれ」と神は言っているのです。

仕える人とは他者に善意を捧げる、あるいは捧げ続けることにおいて、神の栄光が現れるのです。

仕事も他者も侮ってはいけません。「仕える人」にならなければ決して「仕える者」にはならないという戒めなのです。

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