目次
- はじめに
- 慈善事業としての役割
- ピカレスク思想の背景
- 「エビ足の少年」の絵画的特徴
- まとめ
はじめに
この絵は、1642年ごろに制作され、作者はナポリ派の巨匠ホセ・デ・リベラが描いたものです。
原題は「EL Lisiada」スペイン語で「廃人」です。ナポリのスティリアーノ公が依頼した「慈善の勧め」のキャンペーンポスターだったようです。
ところで、この時代の中世ヨーロッパでは、障害者と健常者の差別は多くはなかったようです。なぜなら、農村や王族に至るまで、どの階層にも必ず障害者といわれる人たちがいて、弱さを補っていたという歴史があります。
事実、差別感が出てきたのが近代に入ってからで、優生保護法や貧富の差が市民の間で拡大するにしたがって障害者蔑視が出てきたのです。
ところで、キリスト教の考え方に、人間の体に弱い部分と強い部分があるように、一つの体をつくるために弱さは必要不可欠な存在だと考えられていました。
当然、この「エビ足の少年」の姿は悲観的な部分は全くありません。むしろ、微笑みを浮かべ、堂々と落ち着いた雰囲気さえ漂ってきます。
ところで、中世ヨーロッパにおいて、カトリックは障害者についてどのような対応をしていたのでしょう。意外にも、弱者でありもっとも虐げられていたものとはみなされていなかったようです。
なぜなら、中世ヨーロッパでは、あらゆる階層の中に自然に障害者が溶け込んでおり、宮廷の中にも多様な障害(くる病、小人症など)をもった方がいて、宮廷道化師としての役割を果たしていました。
したがって、「エビ足の少年」も屈託ない笑顔を浮かべ、施しを受けることを名誉だと思っていたのかもしれません。
慈善事業としての役割
中世ヨーロッパの修道院や教会は、寄付された施しものを障害者に受け渡すことが多かったといいます。その背景には、聖職社会としての恩恵と施しが色濃く反映していたのです。
特に、修道院は大きな役割を担い、困窮するものたちの避難所としての役割を担っていました。
また、修道士への戒律には、貧しいもの、苦しむものは救済の対象でした。その根拠は、聖書の「善きサマリア人」やマタイ伝の貧民救済の考え方があったのです。
エビ足の少年が持っていた紙切れには「DA MIHI ELEMOSINAM PROPTER AMOREM DEI” (神の愛ゆえに、私にお恵みを) 」と記されています。
そのことは、彼が障害者であるだけでなく、愚かであることを我々に教えてくれているのです。
それは、かれの飯の種である「エビ足」を意図的に画面全景に置き、変形した足を持つナポリの少年は障害を自ら揶揄していたのかもしれません。
同時にその背景には、スペインの写実主義の伝統に深く執着しており、そのモチーフに人間の弱さに対するキリスト教の意識に突き動かされいたのです。
その風潮は、スペインのピカレスク小説から来ているともいわれ、下層階級の生活場面への芸術的嗜好に由来しているともいわれています。
ピカレスク思想の背景
ピカレスクの語源はメテオ・アレマンの『ピカロ~グスマン・デ・アルファラーチェの生涯~』のピカロから来ているといわれています。
この小説の主人公グスマンは典型的なピカロ(悪者)であるが、単なる悪い人ではなく以下のようなことが言われています。
- 出生に含みのある表現がある(ユダヤ系や娼婦の子であることを暗喩しているものが多い)
- 社会的には嫌われ者である(が、キリスト教的には慈悲を施すべき対象)
- 食べる(生きる)ために罪を犯したり、いたずらをしたりするhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%AF%E5%B0%8F%E8%AA%AC
ある種の親しみやすさと好景気に沸く16世紀の楽観さがまだまだ中世の各都市には残っていて、スペインだけでなくイタリア各都市でも同様の背景があったものと思われます。
この「エビ足の少年」の屈託のない笑顔は、まさにナポリという町の明るさとともに、障害者を悲観的な面だけでなく、道化としての要素も兼ね備えており、自身はなおさら障害をお金を稼ぐ道具として利用したのかもしれない。
原作者ホセ・デ・リベラは作品のほとんどは、キリスト教を題材としてものが多く、「エビ足の少年」も同様に、貧しき者への施しを全面的に打ち出しているのでしょう。
この絵は単なる風俗画ではなく、カトリック信徒の務めとしての「慈善」を勧める意味があるものと思われます。
「エビ足の少年」の絵画的特徴
画家ホセ・デ・ビエラは中世のキリスト教の強い影響を受け、宗教画家として頭角を現しました。特に晩年は、ルネサンスの影響を受けたヒューマニズム描写が特徴的です。
絵画としてのヒューマニズムは、人物の感情表現に現れます。それまでの中世絵画は、表情はなく、みな同じような顔で描かれています。
一方、ルネサンス絵画では、人物は違った顔を持ち、表現や仕草で内面の感情を表出するようになりました。
特に「エビ足の少年」は、屈託のない笑顔と足元から見上げるポーズで描かれ、バックは明瞭な青白色で描かれた背景や大気感までも漂う明るい雰囲気を醸し出しています。
手にはナポリ発行と思われる乞食などが施しを受けるための一種の証明書を持っています。奇形の足をした少年の単身像を描いたもので、貧しき者への施しの意味としたたかに生きる少年が示す当時の社会をありのままに表現しています。
背景の明るい青と宗教画家としての明暗のコントラストが、なにかしら当時の明るい部分と暗い面を見事に描いているのでしょう。
そこには、貧しく障害を持った少年の屈託のない明るさとそこには見えない社会の厳しい現実との格差を現しているのかもしれません。
まとめ
「エビ足の少年」の絵画を通して、人間の本質について哲学的に考えてみました。今でもこの絵画は、人気のある絵画として大きな反響をもっており、パリのルーブル美術館に展示されていることからも伺い知れます。
絵画の中に文字を介してその精神性を現したものは、古代ギリシャの建築や絵画にも多く多用されています。中でも、この「エビ足の少年」は、貧しく不幸な生い立ちの下に生きていることが窺い知れます。
しかし、誇らしげに浮かべる微笑は、貧しさの中にも、人間的に生きるしたたかさが漂っており、ルネサンスの自由な雰囲気を醸し出してさえいます。

当時の中世ヨーロッパでは、障害者を異質な人間と認識されていたわけではなかったのです。好ましきない者と見るようになったのは、遥かのちの20世紀になってからなのです。
障害を持つものは農民から宮廷各階層に至るまで存在し、農民では貴重な労働者として、宮廷では、宮廷道化師としてその活躍の場が与えられていたのです。
そんな中で、社会の中心的存在のキリスト教は、障害者は寄付の習慣の最大の受益者だったのです。というのも、身体障害者は深い信心の証であるという見方もあったようです。
なので、聖書の「最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」は、聖書のマタイによる福音書25章34節~40節にあるイエスのたとえ話の一節です。
このことの意味することは、「エビ足の少年」にしたことは「私にしてくれたこと」であり、まさにキリストの哀れみそのものが描かれていたのでしょう。この絵が400年以上にわたって輝き続ける所以かもしれません。
