ミレー『晩鐘』から見た人間の本当~超哲学入門一歩前~

哲学・倫理

はじめに

この、ミレーの『晩鐘』の絵はバルビゾンに隣接するシャイイ=アン=ピエールの平原を題材にしています。

静寂とした空気につつまれた平原に、晩鐘が鳴り響き、農民夫婦は手を休めて「アンジェラス・ドミニ」で始まる祈りをささげています。

とても研ぎ澄まされた空気感さえ漂う晩秋の風景は、もうすでに日は暮れかかっています。

「聖母マリアさま、罪ある私たちのため、今も、臨終の時も、どうぞお守りください」と祈るのです。この祈りの文言が「Angelus Domini」で始まることから「アンジェラスの鐘」とも呼ばれます。

鐘の音は、毎日3回、午前6時、正午、午後6時に鳴ります。おそらく、この『晩鐘』は午後6時であり、ちょうど仕事終わりの合図でもあるのでしょう。

ちなみに、Angelus Dominiはラテン語。Angelusは天使、Dominiは主キリストという意味で、「主のみ使い」と訳されています。

なお、紀元後を表すA.D.はAnno Domini(アンノドミーニ)で、キリスト誕生の年であり、神の年という意味でもあります。

この晩鐘の祈りの意味は、さらにもっと深い意味が隠されています。ジャガイモの種を植えた後の収穫までの時は、人間の力の及ばない力が働いているのです。

それは、万物の内で働く神の力に頼るしかない世界であり、、最後は立派に収穫できるように祈る以外に人間にはなす術がないのです。

目次

  • はじめに
  • 万物の中で働く神
  • 自然の実り
  • 神の国はどこか
  • おわりに

万物の中で働く神

人はいつも神の働きの中におり、眠っていても、起きていても、話していても、農作業をしているときも、神の働きの中で動いています。

聖書、フィリップ人への手紙に次の一説があります。

あなたがたのうちにはたらきかけて、そのねがいをおこさせ、かつ実現じつげんいたらせるのはかみであって、それはかみのよしとされるところだからである。

philip人への手紙2-13

フィリッピ人(philipピリッピ人ともいう)への手紙は、パウロのことばです。「神は存在する。あなたたちの中で働いているものとして存在している(theos gar estin ho energòn en humin)」と。

あなたたちが働いているときも、欲求しているときも、神があなたたちの中で働いているのです。

ミレーは敬虔なカトリック教徒です。神の栄光とは、私たちの日常の欲求とか行為の中で現れてくるということなのです。

実際、神を誰も見たことはないのです。神は目には見えない働き(energein)であるから。

たとえば、光は世界に満ち満ちていますが、どこにあるのかはわかりません。しかし、物体が光にあたり、はじめてその光が見えるのです。

ミレーの絵は、逆光が多く、そのことで逆に光にあたる陰影がはっきりとわかるのです。

自然の実り

マルコ福音書4-26-28に次のような言い伝えがあります。

26 またわれた、「かみくには、あるひとたねをまくようなものである。

27 夜昼よるひる寝起ねおきしているあいだに、たねしてそだってくが、どうしてそうなるのか、そのひとらない。

28 はおのずからむすばせるもので、はじめに、つぎに、つぎになかゆたかなができる

マルコ福音書4-26-28

種を蒔いた後、人は日夜起きたり眠ったりしています。すると大地が自発的に身を実らせるのです。どうしてそうなるのかは、人間にはわからない世界です。それが大地のエネルゲイア(働き)であり、神の働きということです。

この世は神の光に満ち満ちているとは、見える光もあれば見えない光もあります。大地の働きもその1つなのです。

自然は自分自身の内に自分の在り方を決める根拠(原理)を持っています。花が咲くとか、稲が実るとか、雨が降るとか、すべては自然の法則に従っており、自らの力であると同時に神の力の働きでもあるのです。

『晩鐘』の絵をもう一で眺めてみれば、ただ今日一日の労働への感謝とともに、大地の恵みへの感謝と祈りということにつきます。

神の国とはどこか

神の国とは天国です。これは神の働きの及ぶところでもあり、人間には理解することができない場所のことです。

ただ、一つ言えることは、神は人間の中で、一人ひとりの人間の姿かたちを代えて働くということ。なので、プラウマ(精霊)となって、一人ひとりの魂に宿っているといわれています。

つまり、愛の働きを自覚した人にその魂が宿り、その働きが、現実の人間の具体的行動の中に現れるということなのです。

ミレー自身の絵に対する考え方は、何よりも農民の清貧で純朴な姿に心を動かされたと、サンシェへの手紙で語っています。

ミレーが絵に向かっているときこそ、神の働きの及ぶところで、『晩鐘』は自らの心の中に、鐘が響き、プラウマ(精霊)となって魂を注ぎ込んだともいえます。

神の国はどこにあるのか、世界中を探し回ってもないことに気づくでしょう。なぜなら、神の働きの場は、愛の働きを持ったものが、自ら行動した時にエネルゲイア(働き)となって出現するからです。

したがって、ミレーが絵に向かうときは、まさに神の働きとともにあり、そこに、本当の絵を描くことのだいご味が隠されているのです。

まとめ

ミレーの『晩鐘』を通して人間の本当の姿に迫ってみました。ミレー自身が敬虔なカトリック教徒であり、祈りとともに生活していたのです。

特に、この『晩鐘』は神の働きと、その恵みに対する感謝をあらわしているのです。なぜなら、大地に宿るエネルゲイア(働き)こそ神の働きであり、人間には及ばない領域だからです。

ジャガイモの種を蒔いた後に、ジャガイモは自然に芽を出し、大地の奥深くに根を張り、たくさんの実をつけます。

比較的荒れ地でも、土の質が悪くても育ちやすく、極貧の農民には、もってこいの主食なのです。貧しい農民にとってもってこいの食料であり、命をつなぐものだったのです。

自らの体を使って自分の糧を得ることは、最も人間としての尊い働きであり、もっとも神聖な働きであり、神の最も近い場所なのです。

ミレーの『晩鐘』の絵自体に神の宿っている様は、神聖で、清涼とした空気さえ感じます。そこには、ミレー自身が絵を描く活動を通して、神の働きであることを再発見した作業だったのかもしれません。

最後にミレー自身が次の言葉を残しています。

農民画が私の気質に合っている。社会主義者とのレッテルを貼られることがあったにしても、芸術で最も私の心を動かすのはなによりも人間的な側面なのだ。

アルフレッド・サンスィエ『ミレーの生涯』

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