はじめに
この作品は1918年モジリアニ33歳の作品である。モデルは19歳の献身的な女性ジャンヌ・エビュテルヌだ。彼女と恋に落ち両親の反対を押し切って駆け落ちしている。
しかし、彼女との出会いが奇跡を生む。今までの作品とは全く異なった画風と、赤を基調とした明るいタッチに代わる。実は彼女は画家を目指して美術学校を出ており絵のセンスも抜群に良い。
その影響をかなり受けているためか、彼が死んだのちもこの絵の評価は高い。現在の落札価格は1億ドルを下らないまでになっている。
特に彼の特徴であるアーモンド形の目にある。それも、晩年の絵は、それがもっと鋭く過激になり、くり抜かれたような目とともに、青く澄み渡った深い海の色になっている。
それが、見るものを釘付けにさせ、何とも言えない色気さえ漂うのだ。この絵は彼女の思想的な影響も多分に受けているに違いない。というのも、彼女の両親が敬虔なクリスチャンであったことは、精神的な支えになっていることは確かだ。
晩年の彼は、虐げられた人や貧しい人、社会的に身分の低い人たちに目を向け、意識的にモデルとしている点は、弱いものとともにある自身の姿と重なっていたのだろう。
善意を贈り続けること
ところで、人間はどうやって孤独から抜け出すことができるのだろうか。本来、人は孤独にできている。なので、他者との交わりがなければ孤独に陥る存在である。
モジリアニが幼少から肺結核を患い、しかも、成人してから酒におぼれ、薬物中毒になって短い生涯を終えることになる原因も孤独である。
ただ彼は、、子どもの頃からの病弱で絵を始めたのも、酒におぼれたのも、薬に手を出したのもその影響が多分にある。しかし、その根本にあったのが、孤独である。
しかし、幸い、亡くなる2年間は、天使が現れる。それが、ジャンヌ・エビュテルヌである。彼女は絵の才能に恵まれ、カトリックの洗礼を受けている物静かな才女だ。
不思議なことに、彼の絵は亡くなる3年間に集中している。その作品は、誰もが知る作品であり、彼が亡くなってから評価を見直されたのである。
彼の絵の評価を高めたのは、まさに妻でありモデルでもあるジャンヌの影響だったことはほぼ間違いない。それが証拠に、彼女と会うまでの絵とあってからの絵は、まったく違うからだ。
会うまでの絵は、どちらかというと裸婦画が多く、色も暗い。ところが、彼女と会ってからの絵は、明るい。例えば『赤い肩掛けを着たジャンヌ・エビュテルヌ』は赤色を基調にした鮮やかな色彩になっている。
特に彼女との関係は、善意を贈り続けたことである。それも一方通行の善意なので、見返りは決して求めなかった。それが絵の明るさに現れている。それは、モデルのジャンヌの絵の才能に多分に影響されているのだ。
奇跡
おそらく彼は、彼女に善意を贈り続けたに違いないのだ。相手の自由の深い淵から湧き上がってくる応答を期待して。しかもその答えが返ってくることは奇跡的なことである。
それだけ、ジャンヌは、深い精神的につながった関係だったものと思われる。特に彼のジャンヌに対する思い入れは、単なる女性ではなく「尊厳に満ちたもの」だったのだ。
それはおそらく、一人ひとりのモデルの「人物から垣間見える人間の神秘」を追求したからに他ならない。特に彼がモデルに選んだ人たちは、プロのモデルではなく、市井のまずしい人たちだった。
おそらくそこに、彼独特の尊敬と善意のようなものがあったに違いないのだ。その善意を贈り続けることで絵画は一層神秘さを増していったのである。絵描きとモデルの関係は、自由な人間と人間との関係であり、いわば、尊厳と尊厳との交わりでもあるのだ。
モジリアニは、おそらく一心に彼女のことを思い続けて絵を描いたに違いない。なので、目の玉のない深い湖のような深い水色といい、長い鼻、長い首、笑顔のない顔の中に、私を支えてくれる天使のような顔になっていったのだ。
彼女は、私の最大の他者でありながら、私の奥底にある本当の自己である。私の自我をなり立たせている本当の自己との出会いが生まれたのだろう。その奥底の自己が彼女であり、私を支えてくれているという自覚なのだ。
孤独から脱出
「ぼくが探求するのは無意識、すなわち人種の本能的なるものの神秘である」(ノエル・アレクサンドル著『知られざるモディリアーニ』)と彼自身語っている。
彼の言う無意識の世界とは何か。それは彼の目の描き方にその特徴が凝縮されているように思われる。なぜなら、くり抜かれたような青色の目は、まさに彼の内的世界なのだ。
その内的世界とは、人間存在の悲哀である。彼の晩年の2年間は、死を覚悟し、それを受け入れることで、神に向かって善を思考し、一方でもがき苦しむ悪魔を思考したのである。
それはまさに、別の言い方をすれば、孤独から脱出でもある。「わたしをこのまま無限の悲しみをあの海の底に隠しに行かせてください」という人間存在の悲哀を悟ったようにも思える。
人間の存在する意味とは、「無からのものであると同時に在らしめられて在るもの」(アウグスティヌス)だということである。
それは、偶然の存在であるとともに、神から授かったものであるということです。おそらく晩年のモジリアニは、そう思ったに違いないし、彼女のことはまさしくそのように思ったに違いないのである。
彼がそう思った以上に彼女もそう思ったのだ。それだけ2人は、在らしめられて在るものだったのである。
おわりに
モジリアニ『赤い肩掛けを着たジャンヌ・エビュテルヌ』から見た人間の本質について考えてみました。晩年のモジリアニは、ジャンヌをモデルとして描く中で、人間の尊厳との出会いがあったのです。
奇跡の絵画はまさにそこから生まれたに違いない。なぜなら、彼の肖像画を描くにあたってのモデルとの1対1の対峙は、尊厳と尊厳との対峙でもあったのである。
それだけ、モデルを単なるモデルとしてではなく、人間の尊厳を描くにあたっての心構えのような覚悟が感じられたのかもしれません。
特に、妻であるジャンヌをモデルにした時は、単なる人間としての向き合いではなく、尊厳と尊厳の対峙として、神々しささえ感じたのである。
それが証拠に、深くえぐりぬかれた目の中は、深い湖のように青く透き通った輝きさえ感じる。そこに何か目に見えない神々しさを感じずにはいられない。
神秘性を感じさせる彼のデフォルメは、古代ギリシャ美術からきているといわれています。その時代は、まさに神との対話によって理想をかなえることができたのだ。
彼の理想は何だったのか。おそらく、南仏(ブロバンス)で暮らした最後の2年間という幸福が、永遠に続くことを願ったに違いない。それが、『赤い肩掛けを着たジャンヌ・エビュテルヌ』の絵の中に込められている。