グリム童話『パンを踏んだ娘』から見た人間の本質~超哲学入門一歩前~

哲学・倫理

目次

  1. はじめに
  2. 心が転回する
  3. 無知の自覚
  4. インゲルの苦しみ
  5. まとめ

はじめに

グリム童話のなかに『パンを踏んだ娘」という童話があります。高慢な娘だったために小鳥にされてしまうという話です。

高慢は神が最も嫌う態度で、最も罪深いとされています。聖書にこんな一説があります。

知恵を得るのは金を得るのにまさる、悟りを得るのは銀を得るよりも望ましい。
悪を離れることは正しい人の道である、自分の道を守る者はその魂を守る。
高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。
へりくだって貧しい人々と共におるのは、高ぶる者と共にいて、獲物を分けるにまさる。
慎んで、み言葉をおこなう者は栄える、主に寄り頼む者はさいわいである。

箴言第16章16-22

https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/ot/prov/16?lang=jpn

旧約聖書『箴言しんげんの書』は『格言の書』ともいわれ、格言やことわざが収められています。旧約聖書が知恵文学といわれる所以です。

さて、今回のお話は、グリム童話の中でももっとも聖書のたとえ話に近いものです。この『パンを踏んだ娘』はインゲルというわがままな娘がパン屋に養女としてもらわれます。

その娘を大切に迎え入れたパンや夫婦でしたが、やがて、パン屋の生活に慣れるに従い、文句をいったり八つ当たりするようになります。

だんだんとインゲルは、横柄になり、店の手伝いすらせず、部屋に閉じこもって、自分を飾ることばかりに夢中になっていきました。

そんなある日、インゲルは地主さんにパンを届けることになります。外は雨が降っているにもかかわらず、きれいな服を着ていったばかりに、水たまりをよけることができません。パンを泥の中に投げ込んでまで、自分の服が汚れないようにしてしまいます。

その態度に怒った神は、水溜りの穴深くに落としてしまいます。そのあと神からこう告げられます。「お前は傲慢でわがままだ。親切なパン屋の気持ちを踏みにじり、大事なパンを泥除けとして踏んだ。その罪は重い」と。

とうとう雀になってこの世に戻ってきて、自分が踏んだパンの重さになるまで、パンくずを他の鳥たちに食べさせるという課題が課されます。最後はパン屋のかみさんのほうきにあたり昇天します。

心が転回する(メタノイア)

自我しか知らなかったインゲルは、私のことしか考えていませんでした。しかし、神の言葉を聞いて回心します。つまり、インゲル自身の中に自己が現れ、我執から解放されるのです。

メタノイア(metanoia)とは、悔い改めることですが、あくまでも神の業であり、人間の能動性に働きかけます。したがって、徹底して受動性なだけでなく、絶えず続く状態であり、不完全な人間が完成(最高善)を目指した働きにすぎません。

インゲル自身もパンや夫婦のやさしさに甘え、わがままは一層助長されました。夫婦はしきりに自分達の力の及ばなかったと反省するばかりでした。

しかし、さすがの神もあまりにも自惚れと傲慢に我慢ならず、雷が落ちます。インゲルはひどい雨の中、パンを地主さんに届ける途中、水溜りにはまって穴に落ちてしまいます。

鳥となって、パンくずを鳥たちに食べさせるという罰が与えられるのです。最後はおかみさんのほうきにあたって昇天していまうのです。

その間、インゲルはパン夫婦がとても親切にしてくれたことを思い出し、店の手伝いもせず、自分の洋服のことばかりに夢中になったことを反省するのです。

無知の自覚

たとえば、大災害があり、多くの方が命を落とすということがあります。身近なことでいえば、能登の大地震や水害などが実際に起こるのです。ただ、その意味は人間にはわかりません。悲劇的偶然としか人間にはわからないのです。

しかし、神の目から見ると何らかの意味があるのかもしれません。「神の経綸けいりん」とはオイコノミア(oíkonomía)とよばれ、人間を含めた大自然の秩序は神の定めによるものといわれています。なので、雨によって青草が生え、稲妻が光るなども神自身が創造し支配しておられるということです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%A2

おそらく、人間の分際でわかることではないのです。つまり、罪人であろうと善人であろうと、等しく日は昇り、雨を降らせてくださるのです。

そういう意味では、神の働きを等しく受ける者でもある人間は、神の子でもあるのでしょう。だからこそ、最も日の当たらない弱者や虐げられている者にこそ、日を当てていくことが必要なのです。

人間の愛はあくまでも人間の愛ですが、同時に神の働きでもあるのです。

インゲルの苦しみ

インゲルの苦しみこそ、ヨブの苦しみと同じです。人間は不幸に襲われることによって、他者の苦しみに目覚める可能性があります。

なので、インゲルが泥沼から抜け出せなくなり、すずめになってようやく、パン屋の夫婦のやさしさがわかったのです。そうならなければきっとわからなかったでしょう。

ただ、神は簡単には人間に戻してくれませんでした。すずめにしたことで、小さなパンくずを、捨てたパンの大きさになるまで罰を課したのです。

なぜなら、本当に悪いことをして、もう二度と同じ過ちを繰り返してほしくないためです。なので、本当に元に戻りたければ、他のすずめのために餌を繰り返し与えなければならないのです。

しかしすずめは、おかみさんの周りをしつこく飛び回るものですから、ほうきではたかれてしまいます。おかみさんが拾い上げてようとしましたが、すずめはさっと起き上がり、そのまま店の高みを目指して飛んで行ってしまいました。

結局インゲルは元のかみさんのところへ、元の人間の姿になって戻ることはできなかったのです。

まとめ

インゲルの罪は、決して許されるものではなかったのです。老夫婦にとってはひどい仕打ちだったのです。

それでも老夫婦は、インゲルがいなくなってからずっと探し回る毎日が続きました。しかし、また寂しい2人暮らしに戻ってしまいました。

それでも、パン屋にとっては自慢の娘だったのです。地主さんのところで毎週日曜日に行儀作法を習うことになった時でも、おかみさんは失礼のないように、娘の切る者や持ち物にたいそうなお金を使って用意したのです。

それもこれも可愛い娘のために至れり尽くせりのことをしてあげたのです。ところが、インゲルは地主さんのうちに行くや否や野暮ったい服にイライラし、夫婦に文句をいったり、八つ当たりするようになっていたのです。

それでもパンや夫婦は、自分達の力が及ばないことをため息交じりに、インゲルのいわれるままになってしまったのです。

それを見た神は、どうにか立ち直り機会をうかがっていたのでしょう。それでもインゲルのわがままは止まりません。とうとう水溜りにパンを落とした、それを踏み台にしようとしたのです。

神はそれを見て、もう二度と人間社会に戻れないように、暗い沼に閉じ込めてしまったのです。

最後まで、罰を償うことができず、昇天してしまったのです。

犯した罪は決して許されません。しかし、罪を犯した魂は償いによって救われるのです。しかしその償いは、生涯の罪を背負っていることを決して忘れてはならないでしょう。

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