サンディクチュペリから見た人間の本質~超哲学入門一歩前~

哲学・倫理

目次

  1. はじめに
  2. 大切なものは目に見えない
  3. かけがえのないものとは
  4. 他者は支配できない
  5. まとめ

はじめに

小説家アントワード・ド・サン=ディグジュペリにはその代表作に『星の王子さま』があります。フランス語原題:Le petit Prince(英語:The Little Prince)は彼の代表作です。

この本は1943年に出版され、翌年の1944年に彼は偵察任務遂行中にコルシカ島付近で墜落して亡くなっています。享年44歳でした。

『星の王子さま』の物語は、まるで自分の死を予言するように書かれているのに驚きます。なぜなら、王子は毒蛇にかまれて死んでしまうからです。

彼の著作は、実際にパイロットとしての経験に基づき、砂漠に不時着して、その部族と親しくなったことで、孤独と恐怖と人間の温かさを身にしみて感じたからにほかなりません。

もっとも彼の教訓は、目に見えないものの大切さを解いており、大切なことは目に見えないことを強調しています。

特に大人の目よりも、子どもの純粋な目で見て心で感じることが大事なことだといいます。

なぜなら、大人になると自分のことばかり気にかけ、目に見える表面的なことしか見ていないことが多くあるからです。

何の変哲もないバラでも、愛情を注ぎ時間をかけて育てることで、かけがえのない唯一の存在になるのです。

ところで、狐が王子さまになぞかけする場面があります。大切なことは目に見えないんだ、それがわかるためにも赤いバラにもう一度会うよう説得します。

大切なものは目に見えない

何事も、動物でも植物でも、ましてや人間なら長い時間をかけて共に過ごせば情がわくものです。

世界は心によって全く違う様相を見せつけます。特に、王子さまのように、まだ子供の純粋な心を持っていると、かけがえのないものとは何かがわかるようになってきます。

しかし、大人の目で見ると、自己中心的な欲望にとらわれ、強いものだけが偉いと錯覚していくのです。

なので、子どものような神の目で見ると、バラはいつ枯れるかわからない弱い存在であることがわかるのです。

ところで、長田弘おさだひろしさんの詩に次のようなものがあります。

なくてはならないもの。何でもないもの。なにげないもの。ささやかなもの。なくしたくないもの。ひと知れぬもの。いまはないもの。さりげないもの。ありふれたもの。

もっとも平凡なもの。平凡であることを忘れてはいけない。わたし(たち)の名誉は、平凡な時代の名誉だ。明日の朝、ラッパは鳴らない。深呼吸しろ。一日がまた、静かにはじまる。

長田弘2015:130

実は、大切なものとは長田弘さんのいう「もっとも平凡なもの」ではないでしょうか。平凡は目に見えないんです。

目に見えるのは、美しい人とか、頭のいい人とか、社会的地位の高い人とか、お金のある人とかです。

これらは、他人を支配する力です。あるいは自分を強くするための力なのです。

かけがえのないものとは

ところで、かけがえのないものとはどういうものでしょうか。あるいはかけがえのない人とはどういう人でしょうか。

星の王子様でいえば、赤いバラのことです。別の星に置いてきてしまった赤いバラは、大切に育ててきたバラです。

きみたちはきれいだけど、からっぽだ。」と、その子はつづける。「きみたちのために死ぬことなんてできない。もちろん、ぼくの花だって、ふつうにとおりすがったひとから見れば、きみたちとおんなじなんだとおもう。でも、あの子はいるだけで、きみたちぜんぶよりも、だいじなんだ。だって、ぼくが水をやったのは、あの子。だって、ぼくがガラスのおおいに入れたのは、あの子。だって、ぼくがついたてでまもったのは、あの子。だって、ぼくが毛虫をつぶしてやったのも(2、3びき、チョウチョにするためにのこしたけど)、あの子。だって、ぼくが、もんくとか、じまんとか、たまにだんまりだってきいてやったのは、あの子なんだ。だって、あの子はぼくのバラなんだもん。

出典:青空文庫『あのときの王子くん』(LE PRTIT PRINCE)アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery大久保ゆう訳https://www.aozora.gr.jp/cards/001265/files/46817_24670.html

かけがえのないものとは、ただのバラからぼくのバラになったからなんです。

そのためには、時間をかけて世話をしてきたからなんです。なので、かけがえのないものになったのです。

ところで、かけがえのない人とはどういう人だと思いますか。お金持ち、かっこいい人、強そうな人、威張っている人なのでしょうか。

実は、これらはみな「力」であり、他人を支配する力でもあります。

かけがえのない人とは、弱い人、かっこ悪い人、困っている人など、至極身近にいる平凡な、人知れず、さりげなく生きているような人のことなのです。

なので、なかなか目にとまりにくい、見えないものなんです。

他者は支配できない

ところで、他者(他人)は認識できると思ったことはありませんか。実は思ってはいけないんです。他人だけは認識できないのです。

なぜなら、もし認識できると思ったとたんに単なるモノになり下がってしまうからです。他者とは、自己の中に取り込めない、切り離された存在なのです。

なので、自己の欲求を否定する存在であり続けるのです。自由である自己は他者の存在がある限り自制を強いられるのです。

『星の王子様』に出てくる赤いバラの花との関係だって、他者である限り絶対に取り込めないし、本当の心まで読み取れないんだ。

でも、水をやったり、ガラスの蓋をかけたりと世話をしていると、だんだんと僕のバラになっていくんです。

レヴィナスは、他者は「憧れ(desir)」でしかないといいました。なぜなら、一方通行の善意を送り続けるしかないからです。

つまり、私という実態はどこにもないとレヴィナスは言う。なぜなら、他者とのかかわりがなければ、私の存在を認める人がいないということです。

星の王子さまでいえば、砂漠に咲く一輪の赤いバラとの出会いだ。最初はただのバラだったが、バラとの会話と水やりなど世話することで「ぼくのバラ」になったのです。

大切なものは支配できないんです。ただのモノだったバラが、人格を持った「ぼくのバラ」に変わった時点で、憧れに替わっていったのではないでしょうか。

まとめ

星の王子さまの物語を通して、本当に大切なものとは何か、あるいは、大切なものは目に見えないとは何かを哲学的見地から考えてきました。

砂漠に咲いたたった一輪のバラがたまたま人格を持ち、かけがえのないものに変わっていきます。「ぼくのバラ」なった時、「私」という実態がようやくかけがえのないものになっていくのです。

なので、本来、他者とのかかわりがなければ、「私」というものはないんです。世界中探しても「私」は「私」がと思っているだけの「私」に過ぎないんです。

ゆえに、他者がいなければ「私」はいないんです。他者は本来、「私」などどうでもいいんです。ちょっと極端ですが・・・。

「私」は他者に認められて(認識されて)初めて世界に存在するんです。なので、他者は「憧れ」でしかなく、絶対に取り込めないものなんです。

星の王子さまは「大切なものは目に見えない」といっていることは、哲学的視点で見れば、「存在の彼方」です。それは、他者は認識したと思った瞬間、すでにそこにはいないからです。

しかも、他者は本来認識できないものです。当然、他者から見れば「私」も認識できないのです。

しかし、何か偶然の出会いから関係性が生まれ「かけがえのないもの」に変わってきた時点で「存在の肯定」に代わるのです。

「私」という実態のないものから、ようやく実態が承認されタダの「私」からかけがえのない{私」になるのです。

※少し興味のある方は私の拙著をご覧いただくとさらに深く「私とは何か」の理解が深まるものと思われます。

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