はじめに
やなせたかし作の絵本『やさしいライオン』を通して人間の本質について考えてみました。あらすじは以下のとおりです。
動物園で母親を亡くした赤ん坊のライオンはその寂しさでミルクを飲めずに飢え死にしそうだった。そこで代わりの母親を探すのです。その母親はムクムクという赤ん坊を亡くしたメス犬だった。
何年か経ち立派なライオンに育ち、毎日楽しく日々を過ごしていたが動物園に転園され、親子は離れ離れになってしまいます。何年か経ち、ライオンのブルブルはサーカスの人気者になっていました。
ある日、お母さんの子守唄を思い出し、檻を破って探し回るのです。町は大騒ぎになり兵隊が出動します。ライオンのブルブルは、すっかり年を取り、死にかけているムクムクを見ています。2人が一緒になった瞬間、銃が一斉に火を噴きます。ライオンのムクムクとブルブルは重なるように亡くなっていました。
やなせさんは、戦争を経験し、何が正義かを深く考えた人でした。いくらライオンでも、親子の愛情は切っても切れないものです。
ライオンは犬に愛情いっぱいに育てられ、母親に会いたくて仕方がなかったのでしょう。しかし町の人にとってはライオンは猛獣です。殺さなければ、住民の命が危ぶまれたのでしょう。
さて、どちらも、その側の立場に立てば正義は成り立ちます。やなせさんには戦争という悲惨な現実を体験した人にしかわからない悲しい経験がありました。
強さは美徳?
人間の本性は、存在を太らせるという存在欲求であるため、人間は強ければ強いほど良いという観念が生まれます。なので、強さや、勇気は最高の美徳と考えられてきたのです。
したがって、戦争は高貴なものとみなされ、名誉心から容易に起こされえたからです。強さの現れである戦争自体の内に尊厳があるかのように、人々には見えていました。
最近では、ソ連がウクライナに進行して領土を拡大するのも、自国が強大になることを民衆は喜びとしたのです。それは、自国の領土を侵害されるという驚異から守るという現れだったともいえます。
やなせさんはこのような人間の力による戦争に対して、本当の正義を求めていたに違いないのです。本当の正義は力と力との対決ではないないことを訴えたかったのでしょう。
もし本当の正義があるとすれば、ムクムクとブルブルの温かいやさしさにあることに気づいたのでしょう。強さではなく弱さの中にこそ本当の正義が隠されていることだといえるのではないでしょうか。
絶対的道徳的命令とは
絶対的道徳的命令とは、カントの言う「定言命法」のことです。その絶対的道徳的命令とは、他者を道具として使ってはいけないという命令です。
犬のブルブルに育てられたライオンのムクムクは、ブルブルに愛情をもって育てられたにもかかわらず、動物園に戻り、サーカス団に売られえてしまいます。
まさに道具としてライオンのムクムクはサーカス団に売られてしまったのです。ところが、母である犬のブルブルの愛情を思い出し、街の中に飛び出してしまったのです。
既にライオンという猛獣になったムクムクは、街の住民に恐れられ、兵隊が出動します。やっと犬のブルブルを見つけたのもつかの間、兵隊の銃によって殺されてしまうのです。まさに物として扱われてしまったのです。
絶対的な道徳命令とは、他者をただの道具として使ってはいけないという命令です。他者は目的自体だということです。
目的自体とは
目的自体とは、人間は単なる手段ではなく、それ自体が目的として尊重されるべき存在とみなすという倫理的な考え方です。
人間を手段として扱うということは、奴隷状態と同じ考え方です。つまり、人をモノと同じように扱う考えです。戦争はまさに人をモノとして扱い、相手の敵も当然モノとして殺していったのです。
でもよく考えてください。人間には「自由」があります。自由とは他者から強制や拘束を受けずに、自らの意志や本性に従って行動できる状態をさすのです。これこそがカントの言う「目的自体」ということです。
もちろん、ライオンのムクムクは人間ではありませんが、モノではなく「目的自体」としてムクムクに愛情深く育てられてきました。
それが、動物園に戻り、サーカス団に売られ、まさにモノとして扱われていったのです。ところが、母親同然に育った犬のブルブルの愛情を思い出し、死ぬ前に会いたいと思ったに違いありません。
しかし、いざ街中に出れば、猛獣としてしか扱われません。やっと会えたブルブルと再会したとたん、兵士の銃によって射殺されてしまいます。
おわりに
この物語は、やなせたかしさんが「アンパンマン」を書くきっかけになった作品といわれています。なぜなら、正義とは何かを考える作品になっているからです。
正義は力によって簡単にひっくり返るものだとやなせさんは考えました。そこで、本当の正義は何かをこの作品を通して考えたのです。
ようやく、本当の正義を探し当てたのです。それは、困っている人に仕えるという考え方です。苦しんでいる人、お腹のすいている人に奉げるという考えです。
そこから、「アンパンマン」という作品が生まれます。アンパンマンは、困っている人やお腹のすいている人がいれば、すぐさま飛んで行って、自らの顔をちぎってパンを与えるところです。
この考えは聖書にも次のよな言い伝えがあります。
あなたがたの間で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者はすべてものの僕になりなさい。
マルコ福音書10-43~44
本当の強さとは弱さの中にあるのかもしれません。力による人間の考えは支配でしかありません。それどころか、モノとして人間を扱いかねます。
自由である人間は、「目的自体」としていきています。なので、だれからも、モノとして扱うことはできないのです。
ブルブルもムクムクも人間ではありませんがモノではありません。人間同様「目的自体」として生きています。猛獣として扱われたムクムクは、最後は銃殺されてしまいました。
ブルブルに愛情深く育ったムクムクは、母親の愛情に支えられていたに違いありません。絶対にモノとして扱ってはならなかったのです。




