『よだかの星』にみる存在することの意味~超哲学入門一歩前~

哲学・倫理

目次

  1. はじめに
  2. 存在の肯定として生きる
  3. かけがえのない人とは
  4. よだかの存在
  5. まとめ

はじめに

『よだかの星』は有名な宮沢賢治の小説です。醜い鳥のためみんなからいじめられ、とうとう星になるというお話です。

この短い小説の中に、人間が存在することの本質がちりばめられています。

なぜなら、「生きろ」という存在欲求と「生きるな」という厭世欲求との葛藤が見事にえがかれているからです。

「生きろ」というのは、強いものが弱いものを殺し、それを食べて自分を太らせる欲求です。よだかでいえば、自分より弱い毛虫などを食べることです。

逆に、「生きるな」という欲求は自分みたいな醜いものは、この世から消えたいという欲求です。

なので、人間は常に自分で自分の存在の仕方を決定しなければならないという存在でもあるのです。

したがって、よだかは星になってしまうのですが、でも、ただの星ではありません。いつまでも光り輝きたいという存在欲求を持っていたのだろうと思われます。

存在を肯定して生きる

人間はみな一様に、他者から存在を肯定してもらいたいがために、生きているといってもいいと思います。

というのも、自分が自分を肯定できるでしょうか。他者から存在を肯定してもらわない限り、自分の存在は認識の埒外らちがいだということなのです。

それこそが存在欲求です。よだかでいえば、口を大きく開けて小さな羽虫を何匹も飲み込む行為です。

一方で、厭世欲求があります。「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩ぼくに殺される。・・・ああ、つらい、つらい。僕はもう虫を食べないで飢えて死のう」と。

存在は存在を肯定されて初めて意味を持ちます。自分が自分を肯定しようとしても、自分ではできません。

できるとすれば、かけがえのない人に出会う以外にありません。では、かけがえのない人とはどういう人なのでしょうか。

美しい人とか、頭のいい人とかお金のある人などなど・・・。よだかの星でいえば、蜂すずめだとか鷹だとかカワセミだとかです。

しかし、鷹のような力のあるものや、蜂すずめやカワセミのような美しい鳥が、ほんとうにかけがえのないものなのでしょうか。

かけがえのない人とは

かけがえのない人とか、かけがえのないものとはいったいどういう人や物のことでしょうか。

人間でいえば、頭のよい人、美しい人、お金のある人、社会的地位の高い人など・・・。

普通に考えると、そういう人に憧れますよね。ああなりたい、といつも思っているのではないでしょうか。

実は、哲学的に考えると、あるいは神の目で見ると、まったく真逆であることがわかるんです。

つまり、そういう人は、他人を支配する「力」なんです。おそらく皆さんはそういうものを求めて生きているんです。

それは、人間の存在欲求であることを表しているにすぎないのです。すべて自分に向かう運動なんです。

なので、ほんとうにかけがえのない人とは、醜い人、お金のない人、社会的身分の低い人、病気で苦しんでいる人などなどです。

人生には、そういう人に近づきたくないと思っている人がほとんどですが、否応なしに出会い、無限に責任を負い続けることになるのです。

実はそういう人こそがかけがえのない人のことなんです。

よだかの存在

よだかの存在がようやく浮かび上がってきました。みにくい、きたない、周りから嫌われている存在です。

実は、本当は、かけがえのないものだったのです。なぜなら、最も醜いもの、だれからも嫌われているもの、最も遠ざけ、かかわりを持ちたくないものだからです。

これとは全く逆に、自分を大事にして、自分の存在には意味があるとか、価値があるとか、自分自身を肯定して生きる人に過ぎないのです。

「よだか」がなぜ「かけがえのない」かは、自分のことを忘れ、自分なんて消えてしまいたいと思っているからです。しかし、それだけでは単なる厭世欲求です。

そうでなく、輝く星になって世の中を少しでも明るくしたい、また自身の存在をずっと残して、憧れの存在として輝きたいといった願望だったのです。

自分のことを忘れ、自分なんかもう頭の中から消えて、みんなのために何か一生懸命にやることができた時、本当のかけがえのないものになるんです。

まとめ

『よだかの星』を題材にして、存在する意味について考えてきました。

人間の目から見ると存在欲求とは、自分がこの世の中で一番なんだという自己満足のことです。それだけ人は傲慢だということです。

しかし、神の目から見れば、そういう人ほど、だれからも相手にされず、人生の破滅に落ちるようにできています。

しかし、もっとも隠しておきたい自分の弱点だったり、一番人に知られたくないことだったり、人はみなそういうことを背負って生きているんです。

そういうことを包み隠さずさらけ出して生きている人は、かけがえのない人なのです。

あるいは困っている人、病気で弱っている人とかかわることで自らかけがえのない人になるということです。

そういう意味では、自分のことを忘れ、人に尽くして自分なんかもうなくなってしまうくらいに、一生けん命働きかけた時、かけがえのなさというものが理解できるのかもしれません。

「よだか」は、最初、お日様になってみんなを明るく照らし続けたいと思っていました。自分なんてもういなくなって何か役に立ちたいと思ったに違いないのです。

夜になって一段と光り輝く星を見上げ、ひょっとしたらそれが「よだかの星」なのかもしれません。

※哲学を通して「ほんとうのこと」を知りたいとお思いの方は、私のつたない本を手にとってみてください。


タイトルとURLをコピーしました